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ジーナちゃん専門ブログ

映画:進撃の巨人 ATTACK ON TITAN

【監督】樋口真嗣
【脚本】渡辺雄介町山智浩
【撮影、照明、照明助手、照明応援…】多すぎて覚えられない

頻繁にカメラが揺れ、カットが割れ、クローズアップが挿入され、目が痛くなります。
突発ワイヤーアクションは端が欠けており躍動のカケラも無く、カメラはいつまで経っても引くことを覚えず、暗く狭い画面が支配し続けます。
遠近感を欠いており、序盤&終盤の巨人のショットで2度ほどマヌケなショットがあります。
三浦春馬が立ち上がる時、一旦切り返してから動作を省略するカッティングはなかなかでしたが、その構図が優れているというわけではありません。

序盤、三浦春馬を割とヘタクソなロングで映したばかりなのに、近景、俯瞰で撮り直すカッティング。
給食を配ってるときのシーンで、三浦春馬の足から顔にカメラが寄ろうとして一旦割れる、と言うカッティング。
本郷奏多が食べ物らしき何かを渡そうとして、そこまで割られなかったショットが急に横に移るカッティング。
一貫性がなく、何の効果も見られないところが非常に気になります。

カメラはチグハグですが、セリフは流暢に語ります。
「カップルがSEXしているのを見る→自分たちもSEX→巨人が見ている」という単純なギャグでさえ、
「誰もいないから…」というセリフや、「養育費が出る」というエピソードを挟んでいくことで、巨人の登場を単なるサプライズに収束させてしまうところに、センスの無さを感じます。
このご時勢、冒頭でヒロインにマフラーを渡すために、しょうもないクシャミでお膳立てするとは何事でしょうか。
バカが脚本書いてるに違いありません。

冒頭の移動から、子どもにオモチャを託されて、変な男?にぶつかって男が振り向く時のショットに、ニコニコ棒立ちでこちらを見続ける子どもが映るという下品な演出はやめてほしいです。

逃げる、食べられる人物は、同じような表情で同じようなことを叫びながら「台本で」死にます。台本で死ぬ、と言うより台本に消化される。これがパニック映画というやつです。

前田と樋口とケンカしてたそうです。
争いは同じレベルの者同士でしか発生しないので、どんな批評よりも参考になります。



余りにも酷かったので、紀伊国屋のセールで買った『あるじ』デンマーク語版を鑑賞。
頻繁なクローズアップで、おそらく目が演技しているようには見えます。
ところがそうしたクローズアップに隠れるはずの心理、欲望…いや映画に働きかける作用から、何かかけ離れてます。
テーブルでの切り返しをとっても、ドアからの覗き見をとっても、ショット1つ1つが別の空間に存在するような。
例えば『ミカエル』のテーブルならまだ「わかる」切り返しなのですが、『あるじ』は同じテーブルで食事しているように思えない。
その導因のクローズアップがどうしてこうなるのか…。もう1回見ます。